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2011年3月28日 (月)

地震の時はワンセグを見よ

ブログネタ: 地震のとき、一番の情報源はどこ?参加数拍手

nifty のBLOGネタで初めて書きます。
普段ワンセグなんか小馬鹿にしてみないんですけど、東京のオフィスで地震のあと、即座にワンセグでTVを見ました。
すると地震の情報のあと、津波のリアルタイム映像にビックリ。
この地震の尋常でない規模に戦慄しました。

今回改めて地震の後、即座に状況確認の必要性を実感。
昨日仙台に行ってきたのですが、津波で亡くなった方の中にも、即座にワンセグで状況判断できれば、避難することも可能な人がいたのではないかと思います。
仙台の海岸よりの平野部では、何も知らないまま津波に呑み込まれた方が大勢いたのではないかと思います。

携帯からのネット情報も重要ですが初動避難では、探す時間がかかり過ぎて間に合いません。文字の情報はやはりリアルタイム映像にかないません。

しか~し、自宅がある埼玉(鴻巣市)では、ワンセグが映りません。
早く見れるようにしてくれ!
また子供の携帯もどうかと思いましたが、やはりもしものときには重要な通信手段。
小学校への持ち込みもやむなしと思うようになりました。

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今私にできること2(東日本大震災)

被災地2日目。
ガソリンに余裕があるので、皆で温泉に行こう!
選んだ先は天童温泉
何でも天童温泉は、被災者にいろいろ世話をしてくれるらしい。
そのほかこんなサイトで有志の方がお風呂の状況を調べてくれています。

久しぶりの外出で、弟の家族はハイテンション。
愛車のAlfaRomeoも姪っこ達には好評で、それは私としても嬉しい限り。
外車でちょっとスペシャルな小旅行をプレゼント・・・てか。
開通したばかりの仙台北部道路から、東北道へ抜ける。
しかし天空にかかる橋のようなこの道路が、何も被害がないのに驚嘆する。
東北道にしたって、たった2週間で復旧させてしまった。
ここまで高規格道路を作る必要があるのか、ずっと否定的な意見だったが、この地震ですっかり肯定派に考えを変えてしまった。
建物だって、壊れたのはほとんど津波による被害であり、地震そのものの被害は驚くほど少ない。
さすが土建王国日本、恐るべし技術力と律儀さ。
他の国では、こういうわけにはいかないだろう。

30分も走れば菅生PAである。
ガソリン待ちの行列が凄い。おそらく3時間待ち以上か?
その行列を避けて、売店に入るのだが、そこではごく普通に食料が売っていたことに、弟家族はビックリしたようだ。
ガソリン不足で閉じ込められていた家族には、こんなすぐそばに普通の生活があることがショックだったらしい。
TVでは伝えられない情報が、いかに重要な事か。
近所の情報源は、もっぱらリアルな口コミだったようで、インターネットが使えるにも関わらず、あまり有効には使われていなかったようだ。

2時間弱で山形の天童温泉に到着。
この辺もガソリンスタンドは長蛇の列だが、それ以外は普通の暮らしがある。
せっかくだから、ちょっと高めの1000円で入れる、天童ホテルのお風呂を選んだ。
湯船はちょっと狭い露天風呂と、広い内湯の二つ。
価格ほど豪華ではなかったが、2週間ぶりのお風呂に弟家族は大満足だったようだ。
「やっと人間にかえれた~」といった感じ。
日本人が日本人んであるためには、やはり風呂に入って体を清潔に保つことが欠かせない。
これでこそ理性が保てるってもの、理性を失ったら日本でも暴動が起きると思う。

お腹がすいたので、ビックリドンキーで食事。
この食事も避難生活の長かった身にはこたえられないだろう。
この後のスーパーマーケットでの買い出しにしてもしかり。
多少商品が少ないものもあるが、関東と変わらないごく普通に商品が棚に並んでいる。
おそらく仙台の被害の少ない場所には、商品は意外と豊富にあるのだろう。
関東で一般消費者が多少買い占めした故に、被災地の物資が足りなくなることはあり得ないと思う。
現状は単にガソリン不足と、流通経路の破壊によって、効率よく商品が届けられないに過ぎない。
ガソリンさえあれば、被災者の多くは自分で食料や物資を調達できるのだが。

山形での温泉、食事、買い物で、たまっていたストレスや疲れも、多少なりとも解消できたのではないかと思う。
姪っこ達の笑顔を見ると、本当に来たかいがあったというものだ。
関東では、被災者援助なんて素人が来ても邪魔になるだけでとんでもないという空気があるが、これは絶対間違いである。
確かに修羅場に近い被災地は足手まといになるかもしれないが、それ以上に軽度の被災者は多いのである。
ぜひ親戚や友人知人が被災者にいる場合は、できるだけ援助に来たほうが良いと思う。
ただしガソリンの確保だけは、被災地の負担にならないよう、考慮が必要である。

こんな状況なので、仙台周辺でのガソリン補給はあきらめ、翌日の早朝高速道路のSAで給油することにした。
しかし閉鎖している給油所もあるので、注意が必要。
閉鎖された給油所に焦りながら、ガス欠ギリギリで行きと同じ安達太良SAに到着。
といってもガソリンが入荷するまで、2時間ほど待機。
ハイオクがなかったので、やむ終えずAlfa Romeo 156SWにレギュラーガソリンを20L給油。
でも違和感もなく普通に走る(○゚ε゚○)。
佐野PAでも、ハイオク売り切れでレギュラーを10L給油。
後は普通に走って、午前中に自宅に到着しました。

この時期仙台に行くってどうよ?と思ったのですが、本当に行って良かったです。
行くか迷っている方には、ぜひ行かれることをお勧めします。

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2011年3月26日 (土)

今私にできること1(東日本大震災)

木曜日に東北自動車道が全線開通して、一般車も通れるとのニュースがあった。
弟の家族が、仙台の近く七ヶ浜町で被災しているので、行ってあげたいのだが、ガソリンが手に入らないのでは、いかんともしがたい。
と悩んで金曜日に会社に向かっていると、馴染みのガソリンスタンドから、ガソリン入荷満タン給油可能とのメールがあった。
これは天の声か?と急遽引き返して、ガソリンスタンドに並び30分待ちで給油完了。
不足物資と思われる物を買い出しして、土曜日の朝4時、仙台に向けて出発。
一般車両通行可、一般市民の救援車で渋滞覚悟で早朝出発したが、東北道は非常にスムーズというか、明らかに車が少ない。
これは、ガソリン確保が難しいからなのだろう、栃木のSAガソリンスタンドから、長蛇の列が目立ち始めた。
結局安達太良SAで早めの給油。結局2時間待ちで、一律2000円分12.5Lの給油。
これで何とか活動用のガソリン確保、少し余裕ができた。
この後国見のSAではGS閉鎖中、菅生PAでは果てしなく長い長蛇の列でとても入れられそうもない。
ところどころ、道路の補修個所があり車がバウンドしそうになるが、給油待ち以外の時間ロスもなく、順調に仙台南JCTへ到達。
ここまでは、たいした震災の被害も目立たなくて、さしていつもの風景と変わらない。
ここから震災の核心部、仙台東部有料道路へと向かう。
この道は今回津波の防波堤の役目をして、生死の明暗を分けた道だ。
仙台若林JCTを大きく左にカーブすると、そこにはTVや新聞で見た壮絶な風景が広がっていた。
地図から想像した通り道路の東側は、避難できる丘も、高い建物もなく、津波に襲われた無残ながれきの集落が広がっていた。
こんな場所に30分で津波が到達したら、避難不可能なすすべはない。
心で合掌しながら、冠水後急遽復旧させた道を北上する。
仙台東ICから先は通行止めで、有料道路下の道を走り北上後仙塩街道に合流。
この道脇には、イオンやヤマダ電気などの大型店が並ぶが、軒並み津波でひどい状態。
道の両脇には、通常では考えられないほど破壊された大量の車が放置されていた。
信号も破壊されているので、慎重にゆっくり車を進める。
少し丘陵になっている住宅地を通過するが、そこはいつもの生活があるようで、とても不思議な感じ。
ただいつもより自転車が多めで、ときおり開いているお店の長い行列が、非日常を感じる。
そうこうしているうちに、七ヶ浜町の弟の家に到着した。

弟の家は、幸いからくもほんの数十メートルで津波の被害を免れ、若干壁等にひび割れが生じたが、生活に支障はない。
ただし電気は使えるが、水道が使えないので、水なし生活を強いられている。
当然地震以来風呂なしの生活で、2週間以上耐えている。
家に着いたら、買い出しした食糧等の差し入れを車から降ろす。
昨日、静岡の従兄も差し入れの食糧等を置いて行って、久々豊かな食料がとてもありがたいとのこと。
特に姪っ子たちは、パンがとてもうれしかったらしい。
普通に売られている菓子パンや調理パンなんだけど、本当に満足な食料が無いんだと痛感。
町内にあったチェーン系列の食料品店は、ほとんど閉鎖し、個人経営の店が数件営業しているようだが、満足な品ぞろえは期待できるはずもない。
毎日配給はあるが、パン1つにカップラーメン数個、500mlペットボトル2本と到底家族4人が暮らしていける量ではない。
援助物資やTVなどのメディアは、たかだか?200人が亡くなった被災地はす通りで、もっと被害がひどい地域に流れてしまい、この地域は皆に忘れられていると、弟夫婦ははぼやいていた。
実は弟の家に到着したとき、弟と長女は町で破壊されなかった唯一のガソリンスタンドに、給油しに行っていた。
2時間後にやっと帰宅、6時間かかって15Lの給油に成功。給油できたのは本当にラッキーで、10台後ろはガソリン切れで、給油できなかったようだ。
それならそうと、もっと早く言えと当然のお怒り\(*`∧´)/。
弟の嫁は3時間待ちのはて、2度の給油に失敗している。
これではストレスたまるし、何より無駄な時間や体力が余計疲労させる。

そんな苦しい生活ながらも、弟家族は元気に笑顔で暮らしているのが救いだった。
私の住んでいる関東では、そんな不謹慎なと思われている、お笑い番組やバラエティが、ここで暮らしている人々にとって、貴重な励ましやエネルギーになっている。
命や家を流された人たちは気の毒だが、それ以外の人達も生活があり、いつまでも気落ちしてはいられない。
それにメディアで伝えられているほど、仙台近郊は壊滅的な状況ではない。
というか、メディアはことさら不安をあおりたてるショッキングな映像ばかりを流しているのが実情だ。

この夜は、久々会った弟家族とお酒を飲んで食べて、大いに語って、笑い転げた。
大きな災害の後なのに、なぜかとても幸せな夜でした。
明日は姪っこ達の待望の温泉に行こう!

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街で見かけたトルコの救助隊。本当にありがとうございます。
街で見かける自衛隊の車両も頼もしげに見えます。頑張れ~。

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弟の家の近所からの津波あとの眺め。
ここで亡くなられた方も随分いたようです。

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七ヶ浜の被災マップ。
赤い四角が弟の家で、斜線が津波被害にあった場所、危機一髪。
小学校の校庭で津波にあった被災地もありましたが、ここでは学校に居てくれたことが幸いしました。

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2011年3月25日 (金)

今から仙台に行ってきます

よくできてるなあ、この動画。天才だ

とにかく弟家族を風呂に入れてあげたい。
ガソリンが入手可能か?
それが問題だ。

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2011年3月20日 (日)

長瀞ランチ(風の丘)

一週間以上悲惨な報道をテレビで見ていたら、さすがに心が病んでくる。
そろそろこの辺で、自転車に乗って正常な感覚に戻さなければ。

日曜は春本番の穏やかな天気、東北での惨状が信じられない。
今日は今シーズン初めてのロードバイクなので、平坦路中心で長瀞を目指す。
朝9時半ごろ、我が家を出発して、荒川沿いをひたすら上流へと向かう。
荒川大橋から押切橋までの右岸に、サイクリングロードが完成していた。
路面の状況はすこぶる快適、まだ自転車も少ないので走るのは気持ちがいい。
この区間の完成によって、荒川サイクリングロードから寄居までの区間、自転車で非常に走りやすくなった。
寄居から国道140号を少し走るが、それ以外の道は車の通行量は非常に少なく、信号もたいしてないので、安心して走れるお勧めルート。
約2時間半で長瀞に到着。

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予想はしていたが、長瀞駅から岩畳のメインストリートはほとんど人気がない。
店はほとんど開いているだけに、悲壮感がいっそうきわだつ。
埼玉唯一の観光地も、震災とガソリン不足で、かなりの痛手を被るだろう。
そろそろ自粛一辺倒ではなく、普通の経済活動が重要になってくる。
震災地以外で、一般の人たちができることと言ったら、普通に暮らして経済を活性化させることなんだと思う。

そのあと、今日の目的地カフェギャラリー風の丘に向かう。
ここは一般の人が絶対気がつかないような、射撃場のすぐ下にあるカフェ。
お店に入ると、近所のおじさんと思われる先客が一人。
気さくな方らしく、お店の御主人とともに、震災の事やガソリン不足のことなど雑談。

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ここの食事はカフェ中心ということで、カレー、ピザ、スパゲッティ2種類くらいの簡単なもの。
私はトマトスパゲッティと珈琲をたのんだ。
お店の雰囲気は、木のぬくもりと陶器の優しさを感じさせるナチュラルカントリーハウスといった感じ。
お店自体はさほど広くもないので、一人か少人数でのんびり過ごすのがいいだろう。
食後の珈琲は、ウッドデッキに出て、外を眺めながらいただく。
目の前には冬枯れの雑木林があるので、新緑の頃は美しいことだろう。
ただ目の前の電信柱がちょっと残念なところ。

食事メニューが少ないのでランチには?と思うが、隠れ家カフェとしては申し分ない。
一人で来てもくつろげる、雰囲気が心地よいカフェでした。

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一時間あまりのんびりしたところで、家路についたが、帰りは向かい風で結構苦労した。
途中前から気になっていた、織姫まんじゅうを買ってみることにした。
小さなお店は寄居運動場下の八高線踏切横にある「ちゃがま」です。
織姫まんじゅう以外に、ごま、ゆず、味噌、抹茶、栗・・・など20種類近くあった。
とりあえず、織姫まんじゅうとごまを購入。
白あんの織姫まんじゅうは普通かな、ごまあんはけっこう好きかも。
まだ沢山食べてない種類があるので、次回のお楽しみ。

約5時間あまり走って、久々の112km走ったら、滅入っていた気分も少し回復したようだ。
震災に対して、今私たちができることって、普通の生活に戻り、長い目で震災で被害にあった人たちを、支援していくことなんだろう。
それにはまず自分たちが活力ある生活をしていかなければ。

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2011年3月19日 (土)

あきれた輩(`д´)

連日の災害報道で、涙がにじまない日はない。
そんな中でも報道される、日本人って素晴らしいと感動させてくれるエピソードの数々。
災害にあい、苦労されている皆さまに、心よりエールを送ります。

そしてこの状況で国民の気持ちを、ぶち壊してくれるあきれた輩。

石原都知事の「津波をうまく利用して(日本人の)我欲を一回洗い落とす必要がある。これはやっぱり天罰だと思う」発言。
なんせ津波を利用するんですからね。
そして極めつけの天罰。
屍に鞭打つようなこの発言、人としてありえません。
いくら言葉を撤回しても、何でも政治や自分の都合に利用しようとする人間の薄汚さは隠しようがありません。
都心が津波に襲われても、天罰って言うんでしょうか、この人?

そして政府にまでやめろと言われているのに、3/25強硬開幕するセリーグ。
別に野球に関心ないし、それぞれ生活があるのだから仕事するのに他人を
とやかく言う筋はないと思う。
しかしドーム球場と言われれば、話は別。
一般市民が停電を耐えて生活しているのに、6000戸分の電力使って
野球をする意味がどこにある。思い上がりもはなはだしい、ふざけんな(`д´)

それでも反対するまっとうな神経の選手はいるみたいだが。
ここで何も言えず、のんきに開幕CMに出ている巨人選手。
これだけ国民を敵に回して、今後どれだけ客が減るか、覚悟しておけ。

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2011年3月16日 (水)

不気味な兆候

子供のころ、かなり頻繁に津波の夢を見て、うなされていた。
それは実家が、静岡県の御前崎近くの海岸沿いにあり、子供心に津波が来たらかなり危険な場所だということが判っていたからだと思う。
現実は、夢に見ていた津波のイメージよりさらに巨大で恐ろしかった。
そして宮城県沖や福島県沖で起こった地震が、ついに静岡にも連鎖反応してしまった。
テレビでは確率が低いと言っていたけど、静岡沖の東南海地震の現実性も否定できない。
まだ実家には両親も健在で、どうしたものか途方に暮れる。

今朝弟とやっと電話が繋がったが、津波は弟の家のすぐそばまで押し寄せ、危機一髪だったようだ。
弟の家はちょっとした高台にあり、避難も可能であった。
しかし、地図で見ればわかるが仙台空港周辺などは、まったくの平野で、高台や避難できる高層建築物も見当たらない。
そこに地震から10分やそこらで津波が押し寄せたら、それこそ絶望的である。
時間的に、登下校の時間帯、何もできずに亡くなった子供たちも大勢いたかと思うと、本当に心が痛むし、背筋が凍る。

被災地に何か送れないかと思ったが、今はどの宅配業者も被災地周辺への荷物は扱っていない。
しばらくは災害の鎮静化を待つしかないことがもどかしい。

先週末自転車に本格的に乗り始めようと思ったが、しばらくは乗れそうもない。
やはり自転車に乗るなら、楽しくなければならないと思う。
楽しい気分になれなければ、やはり自転車には乗れない・・・か。

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2011年3月14日 (月)

東日本大震災

正直どんなことを書いてよいのかわからないが、人生最大級の出来事、日記としては書き留めておかねばならないと思う。
まず弟は仙台の東隣、七ケ浜町に住んでいて、海岸線は壊滅的な被害を受けたところ。
全然連絡がとれなかったのだが、今朝連絡がとれて、なんとか弟の家族は皆無事であった。
幸い家が10mくらいの高台に建っており、難を免れた。
すぐ下の水田や人家は全滅だったようだ。
嫁の母方の実家が仙台で、周辺には親戚が多い。
連絡はいまだとれず、きっと亡くなった親族もいるのではないかと想像している。

一日中テレビの映像を見ていたが、衝撃的な映像が多く、心が痛まずにはいられない。
しかし、災害時の行動を示唆する教訓も多く、家族で話しながら一日中テレビの前で過ごしていた。

金曜日会社の避難はひどいものだった。
絶対に耐震構造のビルの中にいるほうが安全だったが、外に出され、おまけにビルの狭間で密集状態。
ビルの窓ガラスでも割れて落ちてきたら、逃げ場がなくてパニック間違いなし。
私は一人少し離れた坂の上に退避して、津波が来たらすぐに走りだすつもりだった。
人は他人と一緒にいると安心するのか、あまりに緊張感がない。
緊急事態の時は、あまり他人の行動に左右されず、自分の判断に従ったほうが生き残る可能性が高いように思う。
なんせ今回の津波、地震が起こってから早いところでは10分で到達したという。
ちょっとした行動の迷いが、生死を分けたに違いない。

意外に役に立ったのが、ワンセグTV。
普段使うこともないのだが、すぐに地震の規模や状況を知るには、やはりテレビが一番のようだ。
電話やインターネットでは、すぐに状況はわからない。
残念なのは、自宅ではワンセグの電波が届かないこと。
しっかり広域に拡張してもらいたい。

金曜の夜は品川の会社から嫁さんの実家がある三軒茶屋まで歩いたが、頼れるのは携帯メールとGoogle Map。
確かに道路は混んでいたが、少し脇道にはいると、車も人も少なく、非常にスムーズに移動できた。
ただ回線が込んでいると、現在地の表示があいまいになる?から要注意。
メールは電話が通じなくても、家族と連絡がとれた。
やはり非常時に頼れるのは、DoCoMoの回線網か。

小学校の頃、学年で東南海地震の被害調査をしたことがあるので、災害については結構考えているほうだと思う。
家を購入するときは、平野部の台地の上で地盤が安定しているところを条件として探した。
絶対安全ということはないだろうが、洪水も山崩れも津波の心配もないだろう
自然災害の自己防衛はこれくらいしか考えられな。

そうはいっても、旅行や出張先で災害に合わないとは言えない。
事実今回の被災者に、旅行者や出張者が巻き込まれたようだ。
つくづく、今生きているのは単に運がいいだけだと思えてくる。

被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。

プロバイダーやSNSで災害募金をやっています。
簡単なので、ポチっと初めてネット募金やってみました。

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2011年3月 6日 (日)

大渚山

昨日は天気が良すぎたので、今日めぼしい斜面はどこもギトギトだろう。
無難なところで大渚山かな・・・ということで大渚山へ。
雪の急斜面の細い道をどんどん登ると、そこが大草連の集落。
この辺りには随分味わい深い茅葺屋根の集落があるが、ここはまた一段と凄い。

この集落がスタート地点で、登ったことはないが大渚山の山頂まで2時間といったところ。
短いので今日はちょっとガシガシ登ってみるつもりで、荷物も軽めにしてきた。
山登りも自転車と同じように、心拍数を140-150くらいに少し高めでキープして登ると効率のいいことはわかっている。
2時間程度と短めなので、春先のトレーニングとしてもちょうどいいか。
最初の一時間は快調だったが、そのうち足のかかとのあたりに違和感が。
少しペースを落として、なんとか靴づれが悪化する前に山頂に到達を試みるも、痛みに耐えかね途中ギブアップ。
山頂直前に、テーピングで応急処置。
いつも気温が高くなる春先、足が蒸れて靴づれを起こしてしまうのだが、またやってしまった。
まったく学習能力ゼロでまいってしまう orz
雪崩よりも、怪我よりも靴づれ対策が、一番のリスクマネジメントらしい。
この後歩行困難で苦しむのだから、まったく笑えない話である。

030601

それでも何とか山頂に到達、ここから見る雨飾山は本当にかっこいい。
下はあんなに暖かかったのに、山頂はさすがに風が強く寒い。
昼食をとっていると、早々と北斜面へのドロップの準備を始めるメンバーたち。
さて北斜面をどうしよう?まったり派を自認する私であるが、今日はやはり滑ろう。
後で良かったよ~などと聞きたくはない。

030602

さて、北斜面に飛び込むとそこは・・・HEAVEN v(^o^)v

030604

雪質から、斜面の美しさまでどれをとっても最高!。
皆それぞれ歓声をあげながら、斜面に思い思いのシュプールを描いていく。

030603

登り返してもう一本。
滑っているときは問題ないが、歩くと足の痛みがけっこうあって、もたついてしまう。
案の定、山頂を後にして南斜面を下るのは私が最後になってしまった。
南斜面は、上部はガリガリクラストその先は重~い春の雪。
それでもこれくらいは何とか滑れたはず?
だと思ったが、ターンのたびに後ろ脚のスキーが雪面に突き刺さり難儀した。
厳しい修行で疲れながらも、何とか滑り終えて本日のスキー終了。
それにしても大渚山の北斜面は最高だった。

030605

帰りは、小谷温泉の風情ある山田旅館のお風呂で皆まったり。
昨日のように熱くなくて湯加減は適温、最高に気持ち良かった。

その後白馬駅前の食堂絵夢でジンギスカンとライスで夕飯。
次にラッピーによって、キャップを購入。
少し時間をずらしたので、渋滞もなくスムーズに帰宅できた。
今回御一緒くださった皆様、ありがとうございました。

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2011年3月 5日 (土)

稗田山から無名峰

またもや雪うさぎとビーコンパートナーとの合同企画に参加してきた。
目覚ましをAM3:45にセットして・・・のつもりだったが一時間間違えて大慌てで出発。
上田インターを降りて、Ninjya S氏をピックアップ。
そこから白馬コルチナスキー場に向かい、一応まあ予定どうり8時頃コルチナに到着。
コルチナでは、てれまくり2012が開催され、たくさんのテレマーカーが集まっていたが、その脇をすい~とスルーして、リフトでゲレンデのトップに向かう。

030501

ゲレンデトップには、バックカントリーエリアへのゲートがあった。
スキー場の大人の対応はありがたい。
S氏と二人ゲートを抜けて、10分も登ると、そこが稗田山の山頂。
山頂の北側はすっぱりと切れた断崖絶壁の大崩落が口をあける。

030502

しかし奥のほうは良く見ると、なんだか滑れそうだねとS氏と談笑。
後で調べてみると、ガイドツアーなんかも入っているようで、コースによってはさほど難しくはないようだ。
今日の雪の状態なら、滑走もありか。
でも一応、先頭は遠慮しておこう。

030504

稗田山山頂付近からは、美しい樹氷の森が広がっていた。
空の青とのコントラストが凄い。
まるでおとぎの世界のような美しい森をゆるゆる登る。
山の神の手前、標高1650m付近でUターンして、1598mの無名峰へ向かう。
途中鞍部で昼食をとっていると、鵯(ヒヨドリ)峰から来る別働隊と合流。
10人以上、皆でワイワイガヤガヤ。
ここから見る鵯峰から天狗原にかけての雄大な景色は格別だ。

030503

ここから、1598m無名峰に少し登って、そこからドロップ。
そこは素晴らしいパウダー斜面があった。

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皆歓声をあげながら谷筋を滑って、フィナーレ。
白馬乗鞍スキー場に出て終了。
今日は素晴らしい景色と雪を堪能の最高の一日だった。
これから総勢13人で、S氏の実家に雪崩れ込み宴会&宿泊。

ただ途中寄った姫川温泉、熱すぎ!

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